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人間って何なんだ
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家族って何なんだ
家族とは修行の場である。『「ガンダム」の家族論』(富野由悠季著)で、著者はいう。つまり家族とは、他人同士のところに、選ぶ余地なく新たな他人である子供が現れたもの、ということだ。家族とは、お互いに愛があるとかないとかの話以前に、ある種の偶然でひとつ屋根の下に住むようになったグループということができる。
家族を愛ではなく、偶然の産物と考えることに抵抗を感じる人はいるだろう。
だが、その人はたとえば会社に希望や安らぎを求めているだろうか。違うだろう。会社には利益を上げるという共通の目的があり、そこに結果として、社員のなかの連帯感が生まれる場合があるだけだ。
家族も似たようなものなのだ。
人間は一人だけで暮らしていると、病んだりした時に、経済的に立ちゆかなくなってしまう。そのために共同生活という手段でリスクを減らすのだ。そしてもうひとつ、家族−ひいては血族の再生産もまた目的のひとつにある。
ようやくすると、家族は人間が生き延び、種族を再生産するための共同作業の場であり、そしてその共同作業の場を維持していくための潤滑油や動機として「愛情」が大きな役割を果たしていく。『「ガンダム」の家族論』(富野由悠季著138頁)
家族といえでもひとつの社会なのだから、そこには相応のプレッシャーは必ずある。そのひとつの社会である家族に、無理矢理安らぎを求めることは、家族内のほかの誰かがそのしわ寄せを受けていることになるはずなのだ。そういう状態が家族として安定的かどうか、少し考えてみればわかるだろう。
それにしても、どうして家族が「安らぎの場所である」という考え方が当たり前に流通するようになったのだろうか。『「ガンダム」の家族論』(富野由悠季著140頁)
僕は長らくひとつの疑問を持っている。
その疑問というのは、どんな優秀な人物でも、権力の中枢に近づけば近づくほど、ダメになっていくのはなぜだろうということだ。
旧日本軍のそういう傾向について、作家の半藤一利さんに尋ねたら、
「金(予算)と人事権を握った奴の勝ちですから」と言われた。
確かに予算と人事権を握れば、その力に酔っておかしくなるものかもしれない。逆にそれを手に入れられなかったからこそ、高潔でいられるというのもわからないでもない。
でも僕は釈然としない。
人間はどんなに立身出世をして、金持ちになっても、徳目を持って己を律し、周囲を律していくことがなぜできないのだろうか、という設問がなくならないのだ。そこにそこに対する答えを見つけたいのだ。
誰に恥じることもなく毅然として生きることが出来たら、死を前にしても、不安がったり、悔しがったりせずに死んでいけるんじゃないのか、となかなか立派になれない僕などは考えてしまう。
本来、人の命のあり方というのは、そうであろうし、家族というのは、そういうふうに生きる緊張感を与えてくれる場所なのではないかと思う。『「ガンダム」の家族論』(富野由悠季著211頁)
「人間の価値観や考え方は、その人の言動すべてに表れる。エントリーシートのレイアウトや一つ一つの文字はもちろん、顔つき、表情、目つき、態度、声、服装、髪型、しゃべり方、間の取り方と、頭の先からつま先まですべてに表れるものだ。」(『絶対内定2014』杉村太郎著・ダイヤモンド社)
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岡本治郎 |
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プロフィール |
青山学院大学大学院法学研究科ビジネス法務専攻修了。修士(ビジネスロー)。
日本銀行・金融広報中央委員会の平成20年度通信講座「くらしに身近な金融講座」の改訂を依頼される。
会社役員。
資格など
日本証券業協会会員
内部管理責任者資格。
実用英語技能検定準一級。
趣味は、サイクリング。ギター。
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