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政策と立法
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『職業としての政治』 マックスウェーバー より
官僚と政治家の違い
真の官僚は、職業として政治活動に従事すべきではないのであり、とくにすべての当事者に公平に「行政」に従事すべきなのです。この原則は、いわゆる「国家理性」を行使すべき場合、すなわち支配的な秩序の存続にかかわる問題を決定する場合を除いて、いわゆる「政治的な」行政官にもあてはまるのです。官僚は「怒りも偏見もなく」、職務を遂行すべきなのです。
政治家は、指導者であってもその配下であっても、つねに闘うのであり、闘わざるをえないものですが、この闘うということを、まさに官僚はしてはならないのです。というのは、党派性、闘争、情熱、つまり怒りと偏見は、政治に不可欠な要素だからです。とくに政治的な指導者に不可欠な要素なのです。しかし官僚は、まったく別の原則、しかもこれとは正反対の官僚の責任という原則にしたがって行動しなければならないのです。
自分が所属する官庁が、まったく間違っていると思える命令を出した場合にも、自分の意見を具申した上で、その命令があたかも自分の信念に一致したものであるかのように、命令する者の責任において、その命令を良心的かつ厳格に遂行しうることは、官僚にとって名誉ある行為なのです。このような最高の意味での倫理的な規律と自己否定の精神がなければ、すべての「官僚」機構が崩壊してしまうことでしょう。
これにたいして政治家が、すなわち国政を指導する政治家が名誉とするところは、みずからの行為の責任をただ一人で負おうとすることであり、政治家はこれを拒むことも、他人に押しつけることもできませんし、またそうしてはならないのです。倫理的には最高の官僚の特性も、[政治家としては]劣悪なものであり、とくに政治的な責任という概念にそぐわないものなのです。
その意味では[倫理的に最高の官僚は]倫理的に最低の政治家になるのです。残念ながら我が国の指導的な地位に立つ人物は、このよな人物[すなわち倫理的に最低の政治家]であるのがつねだったのですが。これが「官僚制の支配」と呼ばれるものです。わたしたちがドイツの官僚制について政治的に、すなわちその結果という観点から判断して、このシステムの欠陥を暴いたところで、ドイツの官僚制の名誉を傷つけることにはならないでしょう。
『職業としての政治』 マックス・ウェーバー著 中山元訳
法哲学−「センの正義論−効用と権利の間で」より
20世紀を代表する法哲学者の一人であるH.L.Aハート(H.L.A.Hart)は、それがどんなに狭いものであろうとも功利主義という浅瀬と権利論という暗礁の間、すなわち「効用と権利の間」の水路を通るべきであると強調している。本書は、アマルティア・センの理論を手がかりに、功利主義とも権利論とも異なった第三の道を求めて、この難所に船出しようとするものである。
センの貧困論−反貧困−「すべり台社会」からの脱出 より
ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センという学者がいる。彼は、新しい貧困論を生み出したことで知られている。彼の貧困論は、選択できる自由の問題と深く関わってくる。
センは、「貧困はたんに所得の低さというよりも、基本的な潜在能力が奪われた状態と見られなければならない」と主張する(「自由と経済開発」石塚雅彦訳、日本経済新聞社、2000年)。それは「所得の低さ以外にも潜在能力に−したがって真の貧困に−影響を与えるモノがある(所得は潜在能力を生み出す唯一の手段ではない)」(同上)からだ。また「貧困とは受け入れ可能な最低限の水準に達するのに必要な基本的な潜在能力が欠如した状態として見るべきである」(『不平等の再検討−潜在能力と自由』池本幸生他訳、岩波書店、1999年)とも述べている(以下、この二著から引用する)。
潜在能力(capability)とは、セン独自の概念である。それは「十分に栄養をとる」「衣料や住居が満たされている」という生活状態(これはセンは「機能」と言う)に達するための個人的・社会的自由を指している。
たとえばセンは、次のように言う。
「腎臓障害で透析を必要とする人は、所得こそ高いかもしれないが、それを機能に変換する際の困難を考慮すれば、この人の経済手段(つまり、所得)は依然として不足していると言える。貧困を所得だけで定義するのであれば、所得からどのような機能を実現できるかという潜在能力を抜きにして、所得だけで見るのでは不十分である。貧困に陥らないために十分な所得とは、個人の身体的な特徴や社会環境によって異なるのである。」
腎臓障害を抱えて透析治療が必要な人Aは、その障害を持たない人Bと同じ暮らしをしようとすれば(同じ「機能」を達成しようとすれば)、そのハンディキャップのために、Bよりも多くの所得を必要とする。それゆえ、AはBより高い所得を得ているのに、Aの方が不自由な暮らしを強いられる、という場合がある。この不自由さを、センは、「潜在能力の欠如」と表現する。
こうも述べている。
「潜在能力の欠如は、世界における富裕な国々においても驚くほど広く見られる。(中略)たいそう繁栄したニューヨーク市のハーレム地区の人が40歳以上まで生きる可能性は、バングラディッシュの男性より低い。これは、ハーレムの住人の所得がバングラディッシュ人の平均的な所得よりも低いからではない。この現象は、保健サービスに関する諸問題、行き届かない医療、都市犯罪の蔓延など、ハーレムに住む人々の基礎的な潜在能力に影響を与えているそのほかの要因t深く関連している。」
ニューヨークのハーレム地区住人の所得がバングラディッシュ人の平均所得を上回っていることは、日本のホームレスの人たちの所得がアフリカの最貧国の平均所得を上回っていることと同様に、疑いの余地がない。国連が「絶対的貧困」だという一日1ドル以上の所得を得ているホームレスの人は、少なからずいるだろう。しかし、それは貧困ではない、ということを意味しない。なぜなら、そこには生活上の望ましい状態(機能)を達成する自由(潜在能力)が欠けているからだ。
たとえ、より所得の少ない人に比べれば、いくらか多い所得を得ていたとしても、その所得によって望ましい状態を得られる方途(選択の自由)をもっていなければ、その人の潜在能力は奪われた状態にある。医師のいない離島でいくらお金を持っていたとしても、満足に医療にかかることが出来なければ、その人はすぐに医療にかかれる環境に暮らす人たちよりも「満足な医療にかかることができる」という「機能」から遠い。それは、お金がなくて国民健康保険料を長く滞納した結果、資格証を発行されて事実上医療機会を奪われてしまった人たちと同じである、という点で、両者はともに基本的な潜在力を奪われた状態にある、と言える。それが「貧困」だ、とセンは言う。
「潜在能力の欠如」(自由に選択できないという不自由)は、個人的な要因であると同時に、社会的・環境的な要因である。ニューヨークのハーレム地区でたまたま70歳や80歳まで生きる人がいるからといって、「他の人たちには努力が足りない」と、平均寿命の短さを早く死んでしまう人たちの自己責任で裁断することは妥当ではない。必要なのは、その地域や個人の諸条件を改善して、長寿を可能にする環境を整えることだ。
それゆえ「開発/発達(development)」とは、単に所得を上げるだけではなく、望ましい様々な生活状態(機能)に近づくための自由度(潜在能力)をあげていくことだ、とセンは言う。「開発/発達とは、人々が享受するさまざまの本質的自由を増大させるプロセスである」「開発/発達の目的は不自由の主要な原因を取り除くことだ。貧困と圧政、経済的機会の乏しさと制度に由来する社会的窮乏、公的な施設の欠如、抑圧的国家の不寛容あるいは過剰行為などである」と。
『立法学−理論と実務−』大島稔彦著271頁 より
地方公共団体の議会
一 組織
地方公共団体の立法は、条例と規則という方形式をとるが、このうち条例が議会の制定する方形式である。
議会の議員定数は、条例で定める(地方自治法ー以下本節において法律名称略−90条・91条)。議員は任期4年で、選挙によって選任されるが、選挙は公職選挙法の定めるところによる。
議会の招集は地方公共団体の長が行う。ただし、議長から、議会運営委員会の議決を経て臨時会の招集を請求することができる。請求があった日から20日以内に招集されないときは、議長が招集することができる。また、議員定数の四分の一以上の者も、同様に臨時会の招集を請求することができる。請求があった日から20日以内に招集されないときは、請求した者の申し出に基づき、議長が招集しなければならない。(101条)。
議会は、会期制を採用しており、原則として、定例会と臨時会に分けられる。定例会は、毎年、条例で定める回数招集しなければならない(102条)。ただし、条例によって、この区分を設けず、通年の会期とすることができる。この場合は、会議を開く定例日を条例で定める(102条の2)。会期不継続の原則も定められているが(119条)、閉会中審査の特例もある(109条9項・109条の2第五項・110条4項)
議会に、議員の中から議長1人、副議長一人を選任する(103条)。議長は、議場の秩序を維持し、議事を整理し、議会のジムを統理し、議会を代表する(104条)。議会には、常任委員会、議会運営委員会及び特別委員会を置くことができるが、すべて条例で定める。(109条〜111条)。
議会には地方公共団体の規模により、事務局を置くか、書記長、書記その他の職員を置く(138条)。議会運営の補佐を担当する。
二 運営
(略)
地方公共団体の議会と長との関係は、国のような議院内閣制ではなく、いわゆる二元代表制であり、長その他の執行機関は議会に当然には議席を持たない。そこで、長や行政委員会の長その他の委員、その委任又は嘱託を受けた者は、議会の審議に必要な説明のため議長から出席を求められたときは、議会に出席しなければならない、とされる。ただし、正当な理由がある場合に、議長に届け出たときは、この出席義務は免除される。(121条)
(略)
三 議会の権限
議会の議決事件は、地方自治法に列挙されているが、条例でもこれに追加して定めることができる。議決事件の一として、条例の制定改廃が定められている(96条)。
委員会は、調査又は審査のため、公聴会を開いて真に利害関係を有する者又は学識経験を有する者等から意見を聴くことができる。また、参考人の出頭を求めてその意見を聴くことができる(109条5項・6項・109条の2第5項・・110条5項)。本会議においても、同様に公聴会を開き、又は参考人の意見を聴くことができる(115条の2)。また、議会は、国会の各議員の証人喚問と同様に、地方公共団体の事務に関する調査を行い、選挙人その他の関係人の出頭及び証言並びに記録の提出を請求することができる。いわゆる百条調査権と言われるものであるが、正当な理由なくこの請求を拒否したときには刑罰が科される(100条)。
このほか、議会は、地方公共団体の事務に関する書類及び計算書を検閲し、長や行政委員会の報告を請求して事務管理などを検査することができる。監査委員に対しても、事務監査を求め、監査の結果に関する報告を請求することができる(98条)。また、議案の審査又は事務の調査のために必要な専門的事項に係る調査を、学識経験を有する者等にさせることができる(100条の2)。
四 議案の発議と審査
議案は、地方公共団体の長及び議員から提出することができる。この議案には条例案も当然含まれる。したがって、執行機関の立案した条例案は長から提出する(149条1号)。議員が議案を発議するには、議員定数の12分の一以上の者の賛成がなければならず、これは文書をもってしなければならない。議案に対する修正の動議を提出する場合も、議員定数の12分の一以上の者の発議によらなければならない(115条の3)。なお、予算の編成権(調整権)とその提出権は長にあり、議員には認められない。
発議された議案(条例案)が、どのように審議され、最終的に表決に至るかは、地方公共団体の条例や会議規則の定めるところによるが、大筋は、国会における審議過程とほぼ同様と見ることができるのではないか。すなわち、委員会に付託されて、質疑・討論を経て採決され、本会議に上程される。ここで議決されると、公布・施行となる。公布は長が行う(16条)。
五 再議と専決処分
条例の制定改廃に関する議決について、地方公共団体の長に意義があるときは、議決について議長からの送付を受けた日から10日以内に、理由を示して、再議に付することができる。その再議における議決が、出席議員の3分の2以上の者が同意して、再議に付された議決と同じ議決であるときは、その議決は確定する。条例の制定改廃に関する議決以外の議決に地方公共団体の長に意義があるときも、同様に再議に付することができるが、この場合の再議の議決は出席議員の過半数で決する。
また、議会の議決がその権限を越え(条例の制定改廃では通常考えられないが)又は法令若しくは会議規則に違反すると認めるときは、長は、理由を示して、これを再議に付さなければならない。再議による議決がなおその権限を越え又は法令若しくは会議規則に違反すると認めるときは、長は審査申し立てをすることができ、その最低になお不服があるときは裁判所に出訴することができる(176条)。なお、同様の再議については収入・支出に関する場合があり、一定の場合には不信任議決とみなすことができる(177条)。
議会が成立しないとき、一定事由の下で会議を開けないとき、議会の議決すべき事件について特に緊急を要するため議会を招集する時間的余裕がないことが明らかであると認めるとき、議会において議決すべき事件を議決しないときは、地方公共団体の長は、その議決すべき事件を処分することができる。その処置については、次の会議においてこれを議会に報告し、その承認を求めなければならない。専決処分が、条例の制定若しくは改廃又は予算に関する処置である場合で、承認を求める議案が否決されたときは、普通地方公共団体の長は、速やかに、当該処置に関して必要と認める措置を講ずるとともに、その旨を議会に報告しなければならない。(179条)。
六 公布・施行
略
『法令起案マニュアル』大島稔彦編著
47頁
条例と規則
<条例と規則の所管事項>
議会は、地方公共団体の事務に関して条例を定め、地方公共団体の長は、その権限に属する事務に関して規則を定めることができる。条例と規則は、別個に独立した法形式であり、両者の間には原則として形式的効力の優劣はない。その意味で、国の場合における法律とその委任に基づく政令の関係とは異なる。これは、地方公共団体においては首長制が採用され、議決機関である議会と執行機関である長とがいずれも直接住民から選出される対等独立の関係として構成されているためである。
@条例の所管事項
条例は、地方公共団体がその団体の事務を処理するために認められた自主立法であり、その地方公共団体の事務に関してのみ制定することができる。地方自治法は、条例は、地域における事務及びその他の事務で法律又はこれに基づく政令により処理することとされるものに関し、制定することができるとしている(2条2項・14条1項)。したがって、国が本来果たすべき事務に関しては、条例で規定することはできない。例えば、1)国全体にわたって統一的な制度によることが適当であるもの(憲法において必要的法律事項とされているもの。ただし、財産権の規制など条例でも制定可能とされているものを除く。)、2)私法秩序の形成などに関する事項(物権の設定、債権の融通性の制限など)、3)刑事犯の創設(なお、行政犯は条例でも創設できる。)などである。
A規則の所管事項
規則は、、地方公共団体の長の権限に属する事務に関し、制定することができる(地方自治法15条1項)。規則は、国の法令又は条例の委任がなくても、地方公共団体の住民の権利義務に関する事項を定めることができる。もちろん、規則は、地方公共団体の内部的規則たる性質を有する事項を定めることもできる。また、規則は、条例の委任を受け又は条例を施行するために制定することもできるが、この場合は、委任や施行の派にを逸脱することができない。なお、規則の実効性を確保するために、法令に特別の定めがあるものを除くほか、違反者に対し5万円以下の過料を科する旨の規定を規則中に設けることができるとされている(同条2項)。
B条例と規則の関係
条例と規則は、別個の法形式であり、それぞれ独立して定めることができる。ただし、条例又は規則のいずれにより定めるべきか規定されている場合がある。また、条例と規則のいずれでも定めることができる場合もある。
1)まず、地方公共団体の事務であっても、長その他の執行機関の専属的権限に属するものは条例の対象とはならない。例えば、地方公共団体の財務に関する権限(地方自治法施行例173条の2)や長の職務を代理する者の定め(地方自治法152条3項)などは、規則で定めなければならない。
2)これとは逆に、条例の専管事項とされているものがある。例えば、義務を課し、又は権利を制限するには、法令に別段の定めがある場合を除くほか、条例によらなければならない(地方自治法14条2項)。また、地方公共団体の長の直近下位の内部組織の設置及びその分掌する事務(同法158条1項)、公の施設の設置及びその管理(同法244条の2第一項)なども条例事項とされている。これらについては、条例の委任により又は条例を施行するため必要がある場合にのみ規則で制定することができる。
3)条例と規則のそれぞれの専管事項でない事項については、条例でも規則でも定めることができる。両者が競合する場合には、議会が制定する条例が優先すると解されている。
<長の定める規則と委員会の定める規則その他の規定との関係>
地方公共団体の委員会には、法律の定めるところにより、その権限に属する事務に関し、規則その他の規定を定める権限が与えられている(地方自治法138条の4第2項)。他方、これらの委員会の権限に属する事務については、法令上明文の規定があるものを除いては、長は規則を定めることはできない。長と委員会との間には、明確な範囲の所掌事務と権限とが分配されているから(同法138条の3第1項)、両者の所管事項が明確に区分される限り、原則として長の規則と委員会の規則その他の規定とが矛盾抵触することは考えられない。ただし、長が一般的な規則を定めている場合は両者の競合が起こり得る。例えば、長は財務規則を定めることができるが(地方自治法施行令173条2)、他方で教育委員会は教育財産管理などに関して教育委員会規則を定めることができる(地方教育行政の組織及び運営に関する法律14条1項、23条2号)。このように長の定める規則と委員会の定める規則その他の規定が競合した場合には、長の定める規則が優先する(地方自治法138条の4第2項)。
<条例と国の法令との関係>
条例は、国の法令に違反してはならない(憲法94条、地方自治法14条1項)。国の法令に違反する条例は無効である。したがって、ある事項について条例で規制しようとするときは、その事項についてすでに国の法令による規制が存在していないかどうかに十分注意し、もし存在している場合にはその趣旨は何か、条例による規制を排除しようとする趣旨なのかどうか検討する必要がある。
@法令違反か否かの判断基準
実際問題として、国の法令に明らかに違反する条例が制定されることはあまり想定できない。しかし、国の法令に違反しているかどうか微妙なケースはある。では、条例が国の法令に違反するかどうかはどのような基準によって判断されるのか。最高裁は、徳島市公安条例事件判決において一般論として、「両者の対象事項と規定文言を対比するのみでなく、それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較し、両者の間に矛盾抵触があるかどうかによってこれを決しなければならない。」とのべ、次のような判断基準をあげている。(最大判昭和50/9/10刑集29/8/489)。
1)ある事項について国の法令中にこれを規律する明文の規定がない場合でも、当該法令全体から見て、規定のないことが特に当該事項についていかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨であると解されるときは、これについて規律を設ける条令の規定は国の法令に違反する。
(逆に言えば、そのような趣旨でない場合は、条例を定めることが許される。)
2)特例事項についてこれを起立する国の法令と条例とが併存する場合でも、
a)条例が国の法令とは別の目的に基づく規律を意図するものであり、その適用によって国の法令の規定の意図する目的と効果を何ら阻害することがないときは、当該条例は国の法令に違反しない。
b)国の法令と条例が同一の目的に出たものであっても、国の法令が必ずしもその規定によって全国的一律に同一内容の規制を施す趣旨ではなく、それぞれの地方公共団体において、その地方の実情に応じて、別段の規制を施すことを容認する趣旨であると解されるときは、当該条例は国の法令に違反しない。
A上乗せ条例など
条例が国の法令に違反しているか否かが大きな問題になってのは、公害規制におけるいわゆる上乗せ条例(法律の定める規制基準よりも厳しい基準を定める条例)や横出し条例(法律の規制対象以外の対象について規制を定める条例)についてである。この問題については、法律先占論の立場をとり、このような上乗せ条例・横出し条例は、法律に特段の規定のない以上許されないとする考え方もあった。しかし、@の判例が出されたこともあり、最近の学説は、法律の趣旨がこれらの条例を定めることを特に排除していない限り、地方の実情に応じて別段の規制を定めるこれらの条例は適法であるとするのが一般的である。なお、最近の公害規制立法の中には、これらの条例をさだめることができる旨をあらかじめ明文で規定しているものがある。例えば、次の大気汚染防止法第4条第1項は、都道府県に上乗せ排出基準の設定を認めている。
<規定例>大気汚染防止法(昭和43年法律第97号) 第四条 都道府県は、当該都道府県の区域のうちに、その自然的、社会的条件から判断して、ばいじん又は有害物質に係る前条第一項又は第三項の排出基準によつては、人の健康を保護し、又は生活環境を保全することが十分でないと認められる区域があるときは、その区域におけるばい煙発生施設において発生するこれらの物質について、政令で定めるところにより、条例で、同条第一項の排出基準にかえて適用すべき同項の排出基準で定める許容限度よりきびしい許容限度を定める排出基準を定めることができる。
2 前項の条例においては、あわせて当該区域の範囲を明らかにしなければならない。
3 都道府県が第一項の規定により排出基準を定める場合には、当該都道府県知事は、あらかじめ、環境大臣に通知しなければならない。
<条例制定権の範囲>(限界)
条例は憲法に違反してはならないのは当然であるが、条例が地方自治を具現する自主立法であることから、条例によって住民の基本的人権を制約することは可能である。したがって、例えば、公安条例による表現の自由の制限は、それ自体でただちn違憲であるわけではない。ただし、憲法上法律に留保されている事項については、条例による規制が可能かどうか問題となる。なお、条例による規制の内容が地方公共団体ごとに異なっていても、それは憲法自ら容認する差別であるから、憲法第14条の平等原則に違反するものではない。(最大判昭和33/10/15刑集12/14/3305)。
@財産権の制限
憲法第29条第2項は、「財産権の内容は、公共の福祉にてきごうするやうに、法律でこれを定める。」と規定している。このように憲法は財産権の内容について法律の留保事項としているため、条例で財産権の内容を定めることは可能かという問題がある。
この問題については、1)公安条例など精神的自由を規制する条例が認められているのに、条例で財産権を規制できないとするのは、経済的自由よりも精神的自由を尊重する憲法の理念にそぐわないこと、2)そもそも条例は、住民の代表機関である議会の議決によって成立する民主的立法であり、実質的には法律に準ずるものと考えられること、などの理由で肯定的に解されている。
A条例と罰則
憲法は、「何人も法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」(31条)と規定し、また、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない」(73条6号)と規定している。したがって、刑罰を科すことができるのは法律か法律の委任を受けた命令に限られ、条例で罰則を科すことができないのではないかという疑問が生ずる。
この点について、判例は、法律による委任があれば条例に罰則を設けることも可能であるとの前提に立ちつつ、条例が自治立法であって行政府の規定する命令などとは性質を異にし、むしろ法律に類するものであることから、条例によって刑罰を定める場合には、法律の授権が相当な程度に具体的であり限定されていれば足りるとして、条例に罰則を設けることができる旨を規定した地方自治法第14条第5項(現14条3項)を合憲としている(最大判昭和37/5/30刑集16.5.577)。
B条例と課税権
憲法第84条は、「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。と規定し、租税法律主義を採用している。これに対し、地方税法第3条第1項は、「地方団体は、その地方税の税目、課税客体、課税標準、税率その他賦課徴収について定をするには、当該地方団体の条例によらなければならない。」と規定し、地方税条例主義を採用している。そこで、両者の関係をどのように理解するかが問題となる。
学説には様々な見解があるが、結論として地方税条例主義が憲法第84条に違反するとするものは見当たらない。その理由付けとしては、1)憲法第84条の「法律」には条例が含まれるとする見解、2)条例は憲法第84条の「法律の定める条件」に当たるとする見解、3)憲法第92条又は第94条が憲法第84条の租税法律主義の例外として地方税についての条例主義を認めているとする見解などがある。
この問題に関する明確な最高裁判決はないが、下級審では、1)の考え方を述べた上で、「地方税条例主義の下においては、地方税の賦課徴収の直接の根拠となるのは条例であって、・・・・・地方税法は地方税の課税の枠を定めたものとして理解される。」としてものがある(仙台高裁秋田支判昭和57.7.23行集33.7.1616)。
以上すこし長め引用となった。本書には、まだまだ、引用したい箇所がある。特に第五章 本則規定の内容と構成(242頁)は、秀逸だ。法令起案にかかわる者にとって、本書は、大変有益な書籍といえよう。
条例の優先的効力
条例と規則との効力関係は、前述のように制定事項が競合しない場合には問題とならない。また、条例の委任、施行のための規則では、条例に基づくものであるからその効力は条例に劣ることになる。問題は共管事項において発生するが、これは一般的に条例が優先的効力を有するとされている。したがって、規則で規定した事項でも後に条例が定められれば条例が優先することになる。このような条例優位の理由としては、条例が議会の定立する基本的自治法規であることがあげられるようである。実際上は、議会の立法手続きにおいて長はいろいろと関与することができ、その関与を経てもなお議会で条例が制定されることになれば、長限りで制定できる規則を劣った地位に置くことは不当とは言えまい、という判断があるのではないだろうか。
立法技術入門講座 <第一巻>『 立法の過程 』 浅野一郎編著・283頁
『条例規則の読み方・つくり方 第二次改訂版』上田章・笠井真一著 昭和32年初版、平成12年 全訂新版、平成18年
第二次改訂版
この本は、タイトル通り条例規則をつくる首長なんかになろうとする人にとっては、バイブル的なありがたい本です。
第一編 条例・規則の立案の実務
第一章 序説
第二章 条例の立案の形式
第三章 立案内容の考え方
第四章 条例における用字及び用語
第二編 地方自治法の改正と条例・規則の制定から公布まで
第一章 地方自治法の改正(地方分権一括法以後)
第二章 条例・規則の制定から公布まで
第三編 実例批評
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岡本治郎 |
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プロフィール |
青山学院大学大学院法学研究科ビジネス法務専攻修了。修士(ビジネスロー)。
日本銀行・金融広報中央委員会の平成20年度通信講座「くらしに身近な金融講座」の改訂を依頼される。
会社役員。
資格など
日本証券業協会会員
内部管理責任者資格。
実用英語技能検定準一級。
趣味は、サイクリング。ギター。
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テクノロジー犯罪の解決は
あらゆる政治課題解決の
糸口となる
---参考資料--- |
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