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「木嶋 佳苗」


2009年秋「婚活サギ女」「練炭女」として、メディアを賑わし、あの容姿で、何で男たちが次々と騙されていったのか?と、巷で不思議がられて噂された女性である。まだ記憶に残っている方も多いと思う。『東電OL殺人事件』を読んでいて、同じ父親コンプレックスの木嶋佳苗に興味を持つ。そこで、佐野眞一氏の『別海から来た女』、北原みのり氏の『毒婦』を読み、木嶋佳苗とはどのような女性であったのか、考えてみた。

次々と男たちを騙し、多額のお金を巻き上げ、睡眠薬、練炭を使って殺していく。(本人は殺していませんと、無実を主張)嘘をつくのが趣味なんです、男のお金はわたしのお金、とばかりに、次々と嘘をつき、巻き上げたお金は湯水のごとく使ってしまう。その自由奔放な生き方には、エネルギッシュで行動力がある。これだけのエネルギーを、もっといいことに使えば、素晴らしい業績が残せただろうに.........。何が彼女を狂わせたのだろう。

第一審では、死刑判決がおり、それを不服とし、即、控訴した。今年2013年10月東京高裁で控訴審が始まったばかり。獄中での一年半の間、自らの半生を綴ったエロス私小説を書いていたそうだ。

以下は、『毒婦』、『別海から来た女』から抜粋し、まとめたものです。


2012年1月10日さいたま地裁で始まった裁判は、3件の殺人事件を軸に審理が進められた。木嶋被告は、とっかえひっかえ衣装を変えて法廷に現れ、そのファッションが注目された。いつも大きく胸の開いた服を着て、絹のような白い美肌を強調し、鈴を転がすような美しい声でささやくように話し、上品で優雅なふるまい。時折華やかな笑顔をみせ、凄惨な殺人の気配は漂っていない。2012年4月13日、求刑通り死刑が言い渡されると、被告は判決を不服とし、即日、弁護士主導ではなく、自分自身で控訴した。


木嶋家のルーツ

佳苗の曽祖父・凌は、福井県大野郡下穴馬村長野(現在の福井県大野市長野(旧和泉村))の出身。『別海沿革誌』によれば、村のダム水没にともなって昭和4年に北海道に移住したとされている。41歳の時である。だが実際、九頭竜ダムの建設が始まったのは、昭和30年代であり、村の郷土史『和泉村誌』には、農家経済の窮乏から、北海道への農業移民がさかんになったと書かれている。農業もできない山深い荒地から、やはり農業もできない北海道の不毛地帯に移住してきた曽祖父は、別海に入植して「原野のリーダー」として地域に活躍貢献する。祖父・正英は「沈着冷静、公正無比の人」として、地域の振興に多大の功績を残す。曽祖父、祖父ともに、郷土の名士という名に相応しい非の打ちどころのない人物のようである。


別海地方は北海道でも最も遅れて入植者が入ってきた土地だった。この地域は雪は少ないが、しばれ(寒気)が厳しく、ろくな作物はとれない。半年近く地面がカチカチに凍るから、牧草くらいしか育たない。地味の豊かな十勝地方のへの入植とは違って、割り当てられる土地も広大だった。不毛地帯というハンディをせめて面積の広さでカバーしたのである。だが、かっての不毛地帯は、現在、大酪農地帯に生まれ変わり、豊かな大地の広がる美しい町となっている。同じ北海道の足寄町(あしよろちょう)に次いで日本で二番目に面積が広い町。東京23区の約二倍あるが、人口は一万6千人あまりしかいない。人口のおよそ7倍に相当する乳牛が放牧されている。


別海町時代の佳苗

佳苗は、1974年11月27日、父木嶋正毅、母淳子の長女として生まれた。佳苗の下には妹2人と弟1人がいる。木嶋一家は最初、別海町に隣接する中標津町(なかしべつちょう)で暮らしていたが、佳苗が小学校にあがる頃、祖父の住む別海町に転居した。父親は元々弁護士になりたかったそうだが、弁護士や司法書士の試験に受からず、お祖父さん(司法書士)の事務所を手伝っていた。

別海町では毎年、小中学生の読書感想文コンクールがあり、佳苗は毎年のように入賞していた。小学4年生の佳苗の読書感想文が、町の図書館に残っていた。「一冊の好きな本を選びなさいと言われたら『シュバイツアー』を選び、また感想文を書きなさい、と言われたら『シュバイツア―』を書く」、読書感想文の書き出しである。他の4年生と比べ、異様にすら思える。簡潔で論理的な文章がその後、続く。

家の中にはが大学時代に弾いていたチェロが壁に立てかけられ、いつもクラッシックがかかっていた。居間にはテレビがなく、夕飯にはパエリアやチーズフォンデュなどがきれいに並べられた。美しく生活し、優雅に楽しむ術を父は子供たちに教えた。おしゃれで優しい父が佳苗は好きだった。一方、には複雑な思いを抱えていたようだ。前向きで向上心が強い母は、佳苗に対しては、かなりの干渉をしていたといわれる。思春期を迎えた佳苗は、母としばしば対立するようになっていった。

子供には優しく愛情深い父だったが、摩擦や葛藤に弱く、本当の意味で娘と向き合ったことはなかったのかもしれない。母親は人前に出るのが好きで、PTAや婦人会の役員を積極的に努め、押し出しが強くて、おしゃべり。次々と新しいことに飛びつく自由な人。

佳苗が初めて問題を起こしたのは、小学校5年生の頃のようだ。授業中に佳苗が先生に呼ばれたことがあった。同級生は、「妊娠」「大学生」「お金」という言葉がクラスに飛び交ったことを覚えていた。

佳苗が次に大きな事件を起こしたのは、中学3年、受験間際の時期だった。佳苗は、家族ぐるみで付き合いのあった家から通帳と印鑑を持ち出し、別海町から60キロ離れた根室の郵便局までタクシーを走らせ、通帳に入っていた300万円をおろそうとした。

「佳苗には手が付けられない。母親と合わない」、当時、父がそうこぼしているのを聞いた人もいた。高校に入った佳苗は、母との確執をさらに深め、「母親の顔を見たくない」と、母との距離を求めるように、1人で決め家を出て、母の実家で祖母と暮らすようになる。まだ「援助交際」という言葉のない時代、学校では、佳苗の性的な噂がますます深まっていった。校門の前で男性と待ち合わせをしていた、お財布に万札が入っていた、隣の中標津町で立ちんぼうをしていたなどという噂がいくらでも出て来た。

母親が交通事故にあったのは高校二年の時。片足を切断する大事故であったが、母を見舞いに病院に行こうとはしなかった。

別海町時代の佳苗が最後に大きな事件を起こしたのは、高校3年の頃。中学生の時に通帳と印鑑を盗んだ知人の家から、再び通帳と印鑑を盗み、今度は実際にお金を引き出してしまった。この時に盗んだ金額を700万~800万円と、公判では話していた。この時佳苗が使った分のお金は、父が返済したと言われている。父は娘に大学への進学を望んでいたが、佳苗は受験をせず、勤め先を一人で決めてきて、高校卒業を機に飛び出すように上京してしまう。


名器自慢

1993年東京で暮らし始めた佳苗はケンタッキーを3か月で辞めた。上京して一年ほどたった1994年、渋谷の喫茶店で声をかけられる。

「あなたのような女性が好きな男性がいる。社会的地位が高い男性とデートしてみませんか」

高級デートクラブに登録し、売春で生計を立てる。「社会的地位の高い男たち」とのセックスは最低10万円だった、と佳苗は言う。その後、池袋のデートクラブで働き、一回のセックスで3万~5万円もらったと話す。

弁護士「(男性は)感想をいいましたか?」

佳苗「はい。今までしたなかで、あなたほど凄い女性はいないと言われました」「具体的には、テクニックというよりは、本来持っている機能が、普通の女性より高いということで、褒めて下さる男性が多かったです」

話題になった名器自慢である。

その頃、実家では、両親の関係が深刻に悪化していた。1996年、次女が高校を卒業し、長野県の短大に進学するのと同時に、母親は次女と共に家を出て、長野に暮らし始めた。まだ10代だった子供を抱えて、父は世話に追われた。ご飯の準備から掃除に洗濯、勉強の面倒まで、1人で全てこなしているのを近しい人は見ていた。

佳苗は、末妹の上京をきっかけに、デートクラブでの仕事をやめ、介護の仕事を考え始めたと言うが、実際には介護の仕事はせず、2001年インターネットで当時60代の福山氏と出会っている。

佳苗がインターネットオークション詐欺をしたのは、末妹が上京した2001年である。持ってもいないパソコンを売りに出した。2003年に執行猶予付き有罪判決が出ている。父親は、有罪判決がでて2年後に亡くなった。2005年の8月末、誰にも告げず、ある日突然父はいなくなった。1週間後に、別海町から100キロ離れた知床半島の羅臼で、崖の中腹で岩に引っ掛かっていた車の中から、遺体で発見された。


騙された男たち


福山定男氏(享年70歳)。6年間にわたり佳苗に7380万円を渡したとされる男性。2007年8月31日、仕事場の2階の風呂で泡を吹いて亡くなる。その数日前に、佳苗が練炭練炭コンロを買っていることは検察側の調べで明らかになっているが、彼の死と佳苗を結びつけるものは、今は何も残っておらず、事件扱いされていない。従って起訴もされず、この裁判の審理対象になっていない。2002年ネットを通じて知り合う。「簡単な事務の手伝い、家事が得意な人、昼食を作ってくれる人、月20万円以上」という福山氏のプロフィールに佳苗の方からコンタクトをとる。月20万円とあったので、週1~2回の仕事かなと思っていたら、平日毎日来てほしいと言われ、断ると、週に一度になった。「20万円では生活できないので、他の仕事をしなくてはいけません。こちらにこられなくなるかもわからないわ、と言いました。50万円必要だと言うと、足りない分は出してあげるから、仕事は続けてっておっしゃいました」「あなたには振り回されっぱなしだと、笑っていました。普通の女性にはない自由奔放さが私の魅力。一般的であるとか、フツーであることは考えたことがなかったです」

福山氏は佳苗のことを「桜ちゃん」と呼んで、頻繁に「桜ちゃん」の話をしてきたという。「すごい女性と出会ったんですよ。ケンブリッジ大学に音楽留学をするというので、支援することにしたんです」と言ってきたり、「すごいことが分かりました。(皇太子妃)雅子さんの遠縁らしいんですよ!」と誇らしげに電話をしてきたり。ウエストポーチに佳苗からの手書きの手紙が入れられていたという。そこには美しい字で福山氏への感謝の言葉が綴られていた。

廃品回収から身を起こし、松戸市で5軒のリサイクルショップを営んでいた。近所でも評判のケチ、変り者、嫌われ者として知られていた。


②佳苗の本命とされるS氏(10歳年上)。1998年頃から、佳苗がお金を奪わずに、定期的にデートを重ねていた男性。佳苗は、S氏のことを、「背が高く、ルックスのいい男性」と、公判中何度も話す。あまりにもルックスが良いため別れがたく、他の男性との結婚を望みながらもズルズル付き合ってしまったと。「Sさんは結婚相手の候補ではありませんでした。セックスフレンドのようなものでした」。佳苗は、S氏は自己愛が強く、思いやりがなく、利己的で冷たく、また情緒不安定な面もあり、結婚し一生を共にするには相応しくない相手だとまで言い切っている。「母親が自殺しているせいか、時折パニックになってしまう。障害のパートナーとしては相応しくない」と、話していることを、妹は記憶していた。佳苗は、S氏に自分の本名を伝えていなかった。「吉川桜」と名乗り、自分のことを”桜は~”と呼んでいた。そして父親は弁護士で神奈川県の湯河原に住み、母親は北海道で事業を営んでいると嘘をついていた。自分の職業はヤマハのピアノ講師である。ピアノ講師では生活できないので、父から金銭的な援助を受けているとも話している。

実際には佳苗の父(2005年に他界)は行政書士で、母親は以前はピアノを教えていたが今は仕事をしておらず、佳苗は金銭的なサポートを受けてはいなかった。また大出さんが470万円を佳苗に渡したとされる日には、帯封のついた100万円の束4つの写真を撮り、「暑さでパパ金銭感覚、崩壊しているかも。きょうだいに配りに行ってくる♪」とS氏にメールするなど、桁外れの”お嬢様”を演じていた。

佳苗の女友達というキウチワカコ(佳苗による自作自演)からのメールを送られたりしても、佳苗の嘘に全く気付かなかった。


③神奈川県に住む詐欺未遂事件被害者B氏(50代)。婚活サイトで出会う。お金を払わず後悔した男。上司が「結婚詐欺じゃないか?やめた方がいい」と言ったことを佳苗に伝えると、「私のデータを消去してください」というそっけないメールが届いたきり、連絡がなくなる。それまでの佳苗のメールは思いやりに満ち、丁寧で、温かいものだったため、佳苗の豹変に納得できず、「お金を払わなかった」ことを後悔した。


寺田氏(当時54歳)。2008年6月頃に佳苗と婚活サイトで出会ったとされ、翌年2月4日自宅(東京青梅市)で一酸化炭素中毒で死亡しているのが発見される。約8か月間で寺田さんが佳苗に振り込んだ金額は1800万円を超える。不自然な「自殺」だったにもかかわらず、警察は自殺と判断し、解剖もしなかった。女性との縁は薄く、人付き合いも得意な方ではなく、無口で寡黙な人。3LDKのマンションには練炭コンロが6個置かれていた。佳苗とのやりとりが残っていたはずのパソコンがなかったため、どのような付き合いだったのかは分からない。ただ佳苗がカルチェのラブブレス約83万円のブレスレット)をもらったことや、寺田さんが亡くなってすぐにベンツ(461万円)を購入していることだけわかっている。「結婚を前提にお付き合いをしており、子供を望んでいたのに、寺田さんの性機能に問題があった」ため、別れを切り出すと寺田さんが激しく落ち込んでいた、と警察に伝えた。警察はそこで自殺と判断してしまう。


⑤静岡県に住む木村氏(当時47歳)。2008年8月24日から12月下旬までに約190万円振り込む。佳苗に最初会った時の印象が「すごく素朴で、家庭的な方だと思いました」と証言している。二人でホテルに宿泊した時、二度とも気が付いたら意識を失っていた。睡眠薬を盛られたことをほぼ確信し、警察に行くも、警察は「事件性がない」と木村氏を全く相手にしなかったという。

自ら佳苗との距離を取った。お金のことも諦めた。「後ろに大きな組織がいるのではないかと思ったからです。身の危険を感じました。」


安藤健三氏(当時80歳)。2009年5月15日、千葉県野田市の全焼した自宅から焼死体で発見される。遺体からは、睡眠薬が検出され、遺体のそばに練炭コンロがあった。火事になったのは、佳苗が安藤さん宅から帰った数時間後のことだった。当日午前10時過ぎに、安藤さんの口座から自分の口座に100万円を送金するとともに、88万円の現金を引き落とす。佳苗は安藤さんのクレジットカードを無断で使ったり、安藤さんの口座から金を引き出したこともあり、2009年3月不審に思った安藤さんが佳苗に「正式に司法の手続きをとります」というメールを送って脅している。2008年6月頃婚活サイトで出会う。70代で独学でパソコンを習得。恰幅がよく、端正な顔の持ち主。父親は著名な画家で、父親の絵がごっそりなくなった時、「絵が盗まれた!」と騒いだ安藤さんが疑ったのは、佳苗ではなく、自分の息子だったという。実際は、佳苗が持ち出し、他の男性に売りつけようとしたことが分かっている。

父親は、次男健三氏の行状に生涯苦しめられていた。借金をして踏み倒したりで、親族の間では鼻つまみ者であったという。

ヘルパーの資格を持っていて、お手伝いとかの配慮もできる優しい人なんだよ」


大出嘉之氏(41歳)。2009年8月6日埼玉県の駐車場のレンタカーの中で、笑みを浮かべ亡くなっていた。遺体からは睡眠薬が検出されており、練炭八個練炭コンロ一個が現場に残されていた。

「彼女は太っててね。でも、美人は3日で飽きるけれどブスは慣れるというし、まあいっか。すごい料理がいっぱい出てくるんだ。フランス料理なんだ。最後はデザートまで出てくるんだよ。素晴らしい人なんだよ。部屋には弁護士だったお父さんのお位牌があって一生懸命供養してるんだよ」

2009年7月13日婚活サイトで出会う。佳苗と初めて夜を過ごした翌日、大出さんは470万円を銀行でおろし、「自分はもう自分だけの自分ではない」と決意を示したメールを佳苗に送っている。公判中、佳苗は始終無表情だった。「これはあの子(大出さん)が言っていたからいうんですけどね」と母親が前置きしながら、ブスデブという言葉を使っても眉一つ動かさずにゆったりと構えていた。その佳苗が一度だけ感情を露わにした。大出さんの兄が証言した時だ。「私たちは生まれも育ちも千代田区神田です。23区内の人間が練炭で何かするという発想はないです。それは『北の国の人』の発想ではないか」

この瞬間、佳苗は思い切り首を傾げ、口角を下げ、「はあ?」というバカにした笑みを一瞬浮かべ、突如すごい勢いでメモを取り始めた。あまりの豹変に驚いた。初めてみた佳苗の生々しい表情だった。

佳苗は北海道別海町出身だ。ブスと言われても動じず、殺人の疑いをかけられても他人事ふうの佳苗の弱点は、田舎者扱い、なのだろうか。こちらがたじろぐほど、「北の国の人」に、佳苗は強く反応していた。

だが、佐野眞一氏の『別海から来た女』では、「『北の方の人』という表現に木嶋はまったく意に介さない様子だった」と、北原氏とは全く違った受け取り方をしている。


⑧佳苗が逮捕直前に出会った男性Y氏(当時46歳)。千葉県野田市、焼死した安藤老人の家から400mとない所に住んでいる。逮捕される直前の数日間を、この男性と暮らした。2009年9月15日にメールでやりとりし、16日に会い、17日には佳苗に言われるまま245万円を佳苗の口座に振り込んでいる。そして19日には、佳苗はY氏の自宅に引っ越しをする。佳苗はY氏に「二人で家のローンを返していこうね」と話し、一緒に暮らした3日間、Y氏のために何品も料理を作り、母を失ったばかりのY氏の心を優しく癒した。Y氏には姉がいる。近所に住むこの姉は、佳苗との交際に強く反対したという。ところがY氏は姉の忠告に「俺が幸せになっちゃいけないのか!」と激昂し、姉の家のトイレのドアを蹴り壊した。この時、姉からの通報があったことが警察の記録に残っていた。ところがこの日、警察に通報されたY氏が、逆に今度は警察から呼ばれた。警察は佳苗の逮捕を目前に控え、Y氏に事情聴取を求めたのだ。Y氏は警察で初めて佳苗の周りの男性が不審死していることや、佳苗が窃盗しているという話を聞いたが、聞く耳をもたなかった。佳苗は「支援してくれていた人が急死したことで、お菓子教室が開けなくなり、詐欺事件に巻き込まれている」などと説明していた。Y氏は佳苗を信じていた。翌日、さらに佳苗に200万円を渡してしまう。

二人の生活は「幸せだった」と、佳苗が逮捕された直後、Y氏は雑誌のインタビューに答えていた。

佳苗が逮捕されてからもY氏は信じられない思いで、佳苗に会いに警察署を訪ねている。接見禁止で結局佳苗には会えなかったが、逮捕から2.3日後に、家の中の火災報知機が全て取り外されていたことに気付いた。一方、佳苗は逮捕2日前に、練炭8個練炭コンロ2個を注文していたのが、インターネットの記録に残っている。佳苗はこの練炭を手にする前に、逮捕された。9月25日のことだった。


雑感

佳苗・小学4年生の時、読書感想文が子供の域を超えて、素晴らしいと書かれているけれど、教育熱心だった親の助けを借りているからでしょう?佳苗1人で書いた文章ではないですよね。

驚いたのは、中学生・高校生の時、家族ぐるみで付き合っているお家の通帳と印鑑を二度盗み、お金を降ろそうとした。700万~800万の大金を降ろしてしまった。これって、スケールが大きくないかい?それに家族ぐるみで付き合っているお家のものを盗むってどんな感覚の持ち主なんだ?中学生だと、親の財布からお小遣いをくすねるくらいかなと思うのは、私の認識が甘いのかな?

佳苗が次から次へと拍車がかかったように男たちを殺していったのは何故?福山氏や安藤氏の場合は、ばれそうになったので、面倒くさくなって殺してしまった?だが、寺田氏や大出氏は、佳苗のことを『素敵な女性』と信じ込んだまま、安心して笑みを浮かべて、死んでいったのではないだろうか。佳苗にとって、男とはどういう存在だったのだろう。男を騙して多額の金を巻き上げて、贅沢三昧をしてきた佳苗。そんなにベンツに乗りたいもの?ブランド物で身をまといたいもの?子供の時から手癖が悪かったということは、佳苗の「毒婦」への道は既に決まっていたということだろうか。佳苗に対して母親がかなりの干渉をしていた。父親は美しく生活することを子供たちに教えたっていうけれど、それで根っこをはやした生活ができたのだろうか?    (2013/11下旬)