1997年3月8日深夜、渋谷区円山町の古ぼけたアパートの一室で、女性が絞殺された。被害者・渡邉泰子は、昼間は東電のエリートOL、夜は売春婦という2つの顔を持っていた。逮捕されたのは、現場の隣のビルに住んでいたネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリ。この部屋のカギを預かっていたこと、以前にこの女性を買春していたことなどから、事件発生の約2カ月後に強盗殺人容疑で逮捕された。
被害者・渡邉泰子は、「5時に東電を退社して6時過ぎに渋谷の円山町に現れ、神泉駅を12時34分に出る終電車に乗り込むまでの約6時間のなかで、自らに課したノルマをこなすように4人の男を相手にしていた。売春客を4人見つけるまでは絶対に終電車には乗らず、客を求めて夜の円山町を徘徊した。」
「土・日や祭日は、午後0時30分頃から午後5時まで、五反田でホテトル嬢として働き、その後は深夜まで、円山町のラブホテル街に立って、直引き(じかびき)の売春をしていた。」
『ねえ、お茶しません、ねえ、お茶しません』といって、必死に誘う泰子。おじいちゃんが困り切った顔をしているのに、そんなことはお構いなく........。『ねえ、遊びません、ねえ、遊びません』と大声で誘っていた泰子。円山町で有名だった。彼女が殺されて39才だと知れたとき、「そんなに若かったのか」と、みんな驚いた。彼女の体は、骨と皮だけの肉体で、老婆のようだったという。
慶応義塾大学・経済学部卒業後、東電に総合職として入社したエリート。そんな彼女が何故、勤務先から帰宅の途上、乗換駅の渋谷で降り、円山町のラブホテル街で売春をしなければいけなかったのか。
父親は東大工学部卒、東電勤務。重役になる目前に、52歳でガン死する。泰子が20歳の時である。母親は室町時代から続く名門の出で、日本女子大卒。母親の兄弟は、皆、国立大卒の医師である。恵まれた知的な家庭環境で育ったはずの彼女が、何故?
職場では浮いており、よく湯飲み茶わんを割って、満足に洗いものができなかったという泰子。母親は、夫の部下が時々家を訪れても、一度も手料理をふるまうことがなかった。通りを隔てて北側に位置する松涛とは違って、円山町は散策には不向きな場所である。泰子の殺害現場は、古びた薄汚れたアパートの一室で、長い間空き家になっており、埃だらけであったと思う。そんな場所を平気で使えたということは、〝しょおたれ"(きれい好きの反対)だったから?いや、彼女には既に心の中に深い闇があり、それが普通とは真逆の生活を強いることになったのだろう。
何故仕事を終えると、まっすぐ、母親や妹のいる永福町の自宅に帰らなかったのか。男性社会の職場の中で、女性が活躍することは、さぞかし大変なことだったと思う。優秀で上昇志向の強い女性であれば、なおさらのこと。それでも、何故、行き着く先が売春だったのか..........。彼女を奈落の底へと落とした心の闇とは何だったのだろう。
毎日の生活の中で、整理整頓をし、食事を作り、時には美味しいものを皆で食べに行き、美しい風景に感動し、本を読んで、また映画をみて、登場人物たちに感情移入し、そして、芸術作品を見て、自分の凡庸さを痛感する。そんな日常生活を送る人は、普通の人。上にも下にも余りぶれない。
母親は、娘が売春をやっていることを知っていた。泰子は、家庭や職場でどのような存在であったのだろうか。金に汚く、吝嗇であった彼女は、落ちているものはなんでも拾い、道で汚れたビールびんを拾って、酒屋に持ち込んで5円と交換する。たまった小銭はコンビニで、100円・1000円と逆両替する。
ネットで検索していると、非公認ブログ「雑感」を書いている人の「東電OL殺人事件」と「木嶋香苗被告と東電OLの影」に興味を持った。(非公認ブログってどういう意味ですか?知っている方教えて下さい。)
東電OL殺人事件は、被害者・渡邊泰子の特異性がマスコミを賑わしただけでなく、その強盗殺人犯として逮捕されたネパール人青年の冤罪事件としても、人々の記憶に残ることとなった。
被疑者ゴビンダさんは一貫して無実を訴える。2000年4月、一審の東京地裁は、「状況証拠にはいずれも反対解釈の余地があり、彼を犯人とするには合理的な疑いが残る」と無罪を言い渡す。だが、同年12月、二審の東京高裁は、同じ証拠を正反対に評価する形で逆転有罪とし、無期懲役を言い渡す。2003年10月、最高裁でも無罪の主張は退けられ、刑が確定。無実を主張し続ける彼は、30歳から45歳までの15年間、獄中生活を送ることになる。
彼の無実を信じる多くの人たちの支援によって、2012年6月7日、ゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者の再審(裁判のやり直し)が決まった。同時に「刑の執行停止」も決まった。この決定によって、横浜刑務所に無期懲役で収監されていたゴビンダ受刑者は、横浜入管に移送され、6月15日に故国ネパールに18年ぶりに送還された。11月無罪判決が確定。
再審を求める過程で、 2011年(平成23年)7月、東京高裁の再審請求審で、弁護側の要請により、東京高裁は、現場で採取された物証のうちDNA鑑定をしていないものについて実施するよう検察側に要請。検察がDNA鑑定を実施した結果、被害者の体内に残っていた精液から、ゴビンダさん(B型)とは別人のO型男性のDNAが検出された。同時に、現場に残された体毛にもこのDNAと一致するものがあった。なお、この新たに見つかったDNAを持つ人物は警察のデータバンクにはなく、現在のところ割り出すのは困難であるとのこと。この男性Xが誰でいつ部屋に入ったかは特定できていないが、事件発生に極めて近い時間に、この部屋で被害者の女性と性的関係をもっていた、との推定が成り立つことになる。
検察は、被害者の胸から第三者のものである唾液が検出されていたにもかかわらず、裁判において証拠開示をしていなかった。この唾液は被告人の血液型B型と異なるO型だった。そのため、弁護側から「判決に影響を与えた可能性があるにもかかわらず、証拠を提出しなかったのは証拠隠しだ」という指摘がなされている。警察や検察の証拠隠し、隠蔽(いんぺい)体質が冤罪事件の元凶(がんきょう)であることは、周知の事実である。
東京高裁において一審判決を覆してゴビンダさんを有罪とした高木俊夫裁判長は、別の冤罪事件である足利事件でも控訴棄却をした裁判長であった。
(2013/10下旬)