2. 三徳山三佛寺投入堂(みとくさんさんぶつじなげいれどう)

米子から特急スーパーまつかぜに乗り倉吉に向かう。

のどかな風景が窓の外を流れていく。 平日のせいなのかそれとも元々空いている路線なのか分からないが、 あまり客もおらず、のんびりした雰囲気に包まれる。

30分ほどで倉吉に到着。 事前に調べたところによると、投入堂への参道は険しいらしいので、 余分な荷物をコインロッカーに預けて、バス停に向かう。
バスの時間までは若干時間があるので、一服つけていると、 女性2人組が現れた(*1)

(*1)あらかじめ断っておくが、 旅先でいい感じになったとかそういう色っぽい話は 一切ない ので、ヘンな期待をせぬように。

ほどなくしてやってきたバスに乗り込んだら、 この2人組も乗り込んできた。 休暇を取って旅行中のOL2人組かと漠然と思っていたが、 顔が似すぎている。姉妹か母娘だ。 聞こえてきた会話の内容から察するに、 愛知もしくは東海地方に縁のある人間のようだ。 しかし、 香嵐渓という単語を久しぶりに聞いた。懐かしい。こんなところで聞くとは不思議なものである。

倉吉を出たバスは少しずつ人を乗せては降ろすのを繰り返し (乗ってくるのはお年を召されたかたばかりだ)、 立つ乗客が出るほどではなく、 三朝温泉(みささおんせん)を過ぎると、 ワタクシと例の2人組だけになった。 どうやら、この2人組は三朝温泉に宿を取っているらしく、 妹だか娘だかとにかく若いほうが随分期待している。 話を聞いていると、たしかによさげである。 ワタクシは倉吉駅前のビジネスホテルに宿を取ったのだが、 せっかくなのだから、それなりの宿にすればよかったかな。

山あいの田園風景のなかをバスは進み、終点、三徳山のバス停に到着。 例の2人組も降りてくる。 バスが行ってしまうと、2人組は元来た道を戻り始めた。 このバス停に着くちょっと前に三佛寺に続くと思われる階段が見えたので、 そちらに向かったのだろう。 ワタクシもあとに続こうとしたそのとき、目の前の小道から、 中年女性の一団がやってきた。 山の中にそうそう家が密集しているとも思えないから、 この小道は三佛寺へ続いているに違いない。 一団をやりすごしてから、その小道をたどることにした。

予想は適中し、三佛寺の参詣者受付案内所にたどりついた。 どこに行ってもたいがい道を間違うワタクシには、めったにないことである。 受付で投入堂まで行きたい旨を告げると、 運動靴を着用しているか確認された。 そのへんは事前に調べておいたので、 トレッキングシューズを履いてきている。ぬかりはない。 ただし、参詣料と登山料が別になっているのは知らなかった。 奥にある登山事務所で登山料を払わなければならないらしい。

受付を抜けると、いくつか建物が並んでいる。 もちろん、観ることにする。

すぐ右手にあるのが皆成院(かいじょういん)。 次に正善院(しょうぜんいん)、輪光院(りんこういん)と続く。 後で知ったことだが、これらの三院は宿坊になっているらしい。

皆成院 正善院
輪光院の中池 輪光院

輪光院を過ぎると少し長い階段が続く。

荘厳な空気があたりを覆っている。 まったくの無神論者のワタクシだが(正月の初詣すら行かない)、 神社仏閣のこの空気が好きだ。 なぜだかとっても気分が落ち着く。

階段を登りきると、ちょっとした広場の態をなしており、 左側に宝物殿がある。残念ながら今日は閉まっているようだ。 先に進む。

さらに別の階段を登ると、また広場になっており、 三佛寺と本堂がある。 参道にはテントが出ていて、見てみると、 お守りその他を売っていた。 山の中の寺でも商売っ気たっぷりである。 世知辛い現代ではやむを得ぬことかもしれない。

本堂の脇を通り登山事務所に向かう。 登山事務所の壁には、 五木寛之の百寺探訪9/11放映分で投入堂が取り上げられる旨のお知らせが貼ってあった。 なんかミーハーな感じだ。しかし、考えてみると9/11といえば、 ワタクシが帰宅する翌日だ。ちょうどよいから観ることにしよう。

登山事務所には人がいなかったが、気づいた係りの人が後ろからやってきた。 お守りの売り子と兼業のようだ。 記帳して登山料を払うと、たすきのようなものを渡された。 どうやら投入堂へ向かうことを許された証のようなものらしい。 無神論者ではあるがしきたりをむげに破るほど宗教が嫌いなわけでもないので、 身に着ける。

門をくぐると、沢にむかって道が下っており橋が架かっている(宿入橋(やどいりばし))。 沢の水が冷たそうで気持ちよさそうだ。 宿入橋を渡ると、 目の前はだった。

よく見てみると、小さな山道がある。 といっても、土嚢を積んで登りやすくしている程度のものだ。 険しいといっても参道だから大したことなかろうと思っていたが、 これは運動靴でなければ登れない。

登り始めて1分もしないうちに息が切れてくる。 険しいということもあるが、運動不足なことおびただしい。 前日の雨で地面がぬかるんでいるので、気を遣う。

ほどなく、 上から小学校高学年もしくは中学生くらいの子どもたちがどんどん降りてきた。 遠足だろう。 登山者のマナーとして挨拶を交わす。 こちらから挨拶する前に挨拶してくれる子、 こちらが挨拶すると返事をしてくれる子、 こちらが挨拶しても返事してくれない子、 色々な子がいて面白い。

30分ほど息もたえだえに道を登っていると (後で知ったのだが、かずら坂と云うらしい)、 少し開けたところに出た。 目の前には、自然の石垣がそびえており、 そこに張り出すように文殊堂が建っている。 文殊堂の足場が木材で縦横に組まれていて、 その横合いに石垣の上から鎖が垂れている。 よじ登るためのものだ。左手には細い回り道が続いていて、 こちらを行っても先に進めるようだ。 当然、鎖をつたって石垣をよじ登る。

石垣の上に出る。文殊堂はその周りをくるりと回れるようになっている。 手すりもなにもないので、足を踏み外そうものなら、真っ逆さまだ。 だが、ふしぎと恐怖心は感じず、自然にくるりと一周した。 文殊堂からの眺めはすばらしかった。

文殊堂からの眺め 文殊堂その1
文殊堂その2

文殊堂を後にすると、それまでの道の険しさは影を潜めた。 その代わりに足場が悪くなった。 岩場になっていて、うっかり足を滑らせると大怪我は免れないだろう。 右手には修復中の地蔵堂があった。

すぐに鐘楼堂にたどり着いた。 先客が鐘を撞いている。 どうやら勝手に撞いてよいようだ。 先客が去った後、ワタクシも撞いてみた。 鐘楼の荘厳で透明な音が辺りに鳴り響き、 山中に消えていった。

鐘楼堂を過ぎると、馬の背、牛の背と呼ばれる小径に出る。 とがった岩肌が馬や牛の背に喩えられている。 難所というほどではないが、岩肌の上というものは歩きづらい。 右手が茂みになっており、その奥がどうなっているか分からない。 ひょっとしたら、足を滑らせたら最後、 どこまでも落ちていってしまうかもしれない。

馬の背、牛の背を抜けると、小さな祠のような納経堂があり、 さらにその奥に観音堂がある。

納経堂 観音堂その1
観音堂その2

観音堂は洞穴の中にすっぽり、というよりは、 ぎちぎちに押し込められたように建っている。 一瞬、ここで道が途切れたように思ったが、 観音堂の右手、建物と洞穴の隙間を縫うように道が続いていた。

観音堂を過ぎると、左手は崖となって落ち込んでいる。 やや右に重心をあずけながら、ぬかるんだ道をゆっくり進む。 雨の残りしずくなのか極めて小さい滝なのか判然としないところを、 若干濡れながら先に進むと、唐突にそれは目に入ってきた。

三徳山三佛寺投入堂。

山肌に投げ入れたかのように建っていて、 現在でも、どのように建てられたのか判明していないらしい。 縁起は飛鳥時代まで遡り、 かの修験道の祖、役小角(えんのおづぬ)が法力で投げ入れたと言われている。

投入堂その1 投入堂その2
投入堂その3 投入堂の反対側を望んだ風景

いったい誰がどのようにして建てたのか。
なぜこのような場所にこのような建てかたをしなければならなかったのか。
思いを馳せると、意識がどこかに吸い込まれていくような心地になる。

もっと近くで見たい衝動に駆られるが、いまいる場所と投入堂の間には、 小さな谷がある。 頑張れば進めなくもなさそうだが、 道らしきものがつけられていない以上、 よそ者がみだりに踏み込んではいけないのだろう。 この場所でその姿を眼に焼き付けるにとどめることにした。

やってきた道を逆にたどり、下山の途につく。 途中、鐘楼堂でバスの2人組に出会った。 あとどれくらいかと訊かれたので、正直にもうすぐと答えた。 それにしても女性の足とはいえ随分遅い。 登山の前に腹ごしらえを済ませてきたのかもしれない。

文殊堂の先、かずら坂は、道がぬかるんでいて、 登るときにも苦労したが、降りるときはさらに気を遣った。 が、その甲斐虚しく、足を滑らせ尻餅をついてしまった。 ジーンズがどろどろである。 怪我をしなかっただけ幸いと言える。

門の直前、宿入橋で川の水に手を浸し、いままでの疲れを癒す。 冷たい水の流れが心地よい。

登山事務所にたすきを返し、三佛寺を後にした。


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