『MAD』という言葉、同人誌即売会やインターネットの動画共有サイトなどに於いて、 パロディ編集の音楽テープやビデオの代名詞として定着したようだが、 元々はO阪芸大に伝わるパロディカセットテープ(現在でいう音MAD)のタイトルで、 舞映(MY DREAM PRODUCT)によって様々な交流の場所に持ち込まれたために広まっていった物である。 元来、『き○がいテープ』というタイトルだったが、色々あって?英題に落ち着いた。 これがその内容のインパクトさ故、漫画研究会同士の集会や同人誌即売会を通じて広まり、 さらに新たな創作者を次々と生み出してMADビデオやPCによる動画編集物に進化していく。 |
『MADテープ』という【名前としての起源は、1978年ごろ】 大作家芸大(笑)グループCAS(カス)の創設メンバーの中の ネトホヘル矢野氏と元祖家元のMAD島川氏がアニソン・特ソンを歌ったり、ギターでメドレー弾きしていた時、 どうも他の歌と混ざってしまうものが有り、実際にソレを音源でつないでみよう、という試みから始まったという。 それがいつのまにやらギャグ的なつなぎとなり、パロディの要素を帯びてきた。 (※さらにそれ以前の起源(1975~76年頃)についてはMADの家元であるMAD島川先生のお言葉を参照) その頃、大阪のまったく別の場所でクレイジィ今井は 1974年~1975年に放送された『宇宙戦艦ヤ○ト』を当時カセットテープで録音していたが、 『ヤ○ト』のBGMが欲しく、しかしまだドラマ編レコードも出ていなかった頃なので、TVから録音したドラマの中からBGMだけ抜き出し、 セリフのかぶっていない部分をつなぎあわせて曲にまとめ、音楽集を作って個人で楽しんでいた。 さらにはドラマを編集し、名場面集を作りひたっていたわけだが、同じヤマト好きの友人たちとパロディセリフ遊びをするうちに、 実際それを編集してみようと思い立った。そうして『MADヤ○ト』なるものを、 やはり1975~76年頃に漫研や集会(今でいうオフ会)で楽しんでいた。 そして、今井がO阪芸大に入ったことによりふたつのMADの運命が結びつく。 他にもこんなオモロイ事アホな事(褒め言葉として、です!)をやっていた方々がいたのかと感動(笑)した今井は音楽MADを 先輩の作品から受け継ぎ、『NEW MAD SERIES』として発表していく。 これは徹夜でなにか作業するときの"景気づけ"と"笑いによる眠気防止"が本来の使い道?なのだが、 高速を車で走るときは"MADカーチェイス"系な曲なども好まれた。 その後九州等でも同様のMAD系の作品が作られ発表されたり売られたりしていたみたいだ。 MAD本来の目的は個人が自分の楽しめるようにお好み曲をカスタマイズする、というものだ。 幸いにも自分たちの作品が今なお、どこからかダビングされたりデータとなってアップされていて あちこちの方に楽しんでいただいているという事を聞くとうれしい。 しかし、その作品も偉大なるアニソン・特ソンがあってこその物であり、我々は前述のように自己カスタマイズしただけにすぎない。 だから最近のMAD系で"偉そうにしているMAD編集者(もの)もいる"という話を聞くと、なんだかなぁ、とも思いますが・・・。 |
◆MAD館 INDEX/
◆NEW MAD TAPE SERIESについて/
◆HP版 NEW MAD
MAD家元:MAD島川氏のお言葉のページへ